人生を変えた「たった一言」は、なぜ残り続けるのか
1. 人生を変えた「たった一言」は、なぜ残り続けるのか
皆さんにも人生を変えた「たった一言」っていうのがあると思います。
僕にも要所要所であって、今でも心に刻んでいる言葉がいくつかあります。
小学生の頃にひとつ。
高校生の頃にひとつ。
そして20代、ダンスに夢中だった頃にひとつ。
言葉自体は変わらないけど、年齢を重ねるごとに自分の中で受け取る意味は変わっていく。
「あの時のあの言葉はこういう事かぁー」
って腑に落ちる時期が来たり、
「いや、あの時はそう思ったけど、今は少し違うな」
と思ったり。
今でも何度も思い返す言葉があります。
振り返ってみると、その言葉たちはいつも僕に何かを教えてくれていました。
目の前の現実を受け入れて進む事だったり、
他人が自分を見ている場所は意外とそこなんだと気づかせてくれたり。
2. 「使えて損はない」という考え方が、自分の基準になった話
小学生の頃。
今から30年以上も前だけど、「笑っていいとも」でタモリさんが敬語について話してました。
『敬語は使えなければいけないって事じゃないけど、使えて損する事なんて一つもないよな?』
って。
多分、10歳前後だった僕はその言葉を聞いて、
「使えて損が無い」
その考え方だけが妙に頭に残った。
「得するためにやる」じゃなくて、
「損しないならやっとけばええやん」
くらいの軽さ。
「あぁ、こういう考え方ってあるんや」
と感じた。
10歳の僕には敬語の価値なんて分からなかった。
でも、「使えて損はない」という考え方だけは妙に頭に残った。
だからまず、敬語を意識するようになった。
45年間生きてきて、今の所、敬語を使えて損は一度もしてない。
これは、
「やって損のないことは身につけておく」
という価値観だと思う。
敬語もそう。
筋トレもそう。
健康に気をつけた食事もそう。
レスポンスが早いのもそう。
フットワークが軽いのもそう。
「やって損のないことは身につけておく」
10歳前後でこの考え方を知った自分を振り返ると、
敬語のおかげで人生が劇的に変わった。。。。とは思わない。
でも、大損をする場面は一度もなかった。
多分
「やって損はない」って考え方が好きなんです。
大きな覚悟なんていらない。
とりあえずやってみる。
そのくらいの軽さで始められる。
気づけば45歳になった今でも、新しいことを始める時の基準になっています。
3. 若いうちの「捨てる判断」は、本当に正しいのか
次に覚えているのは、高校の国語の先生の言葉。
彼女はバスケット部の顧問もしていて、結構怖い先生だった。
でも、話す言葉は妙に頭に残る人だった。
僕たちは受験を控えた高校3年生。
ある日の国語の授業で、一人の生徒が立ち上がって言った。
彼の名前は松本翔(さらしてごめんw)。
受験科目に国語がないからと、
「やる意味あるーん? 必要科目だけ勉強させて―」
と。
「・・・あのな松本。今のお前に国語は必要なくても、お前の人生に必要じゃないかどうか、今わかるんか?」
先生は続けて言う。
松本は無言。。
「意味があるか無いかだけで考えるな。
17〜18歳のお前らが、その判断で人生の選択肢を捨ててるかもしれんことに気づいてほしい。」
何かを選ぶということは、
何かを捨てるということ。
今この瞬間の選択が、自分の未来を決める。
あの時は、その言葉の重さだけは何となく分かった。
軽く聞き流せる話じゃなかった。
あの時は「国語」の話だと思っていた。
でも今思えば、先生が伝えたかったのは教科の話じゃない。
若いうちに「いらない」と決める怖さの話だった。
あれは人生の話だった。
4. 「1万回やれ」という言葉が腑に落ちた瞬間
最後はダンサー時代。
僕は今、衣装デザイナーとしてやっていますが、ファッションや衣装にハマる前は、ストリートダンスにドはまりしていて、19歳から30歳までの11年間やっていました。
その時の僕の師匠的な人の話です。
あるレッスンで彼は言います。
『今、皆が下手くそなんはしゃーない。皆んなから見て俺はめちゃくちゃ上手いやろ? このステップにしても皆んなより上手く出来るしカッコよくできるし、バイブスも皆んなとはかけ離れた次元でかっこいい。。』
自慢か???
と最初は思ったけど。
『俺はこのステップを皆んなの1万倍はやってる。だから上手い。皆んなが一回やってる今の時点と今の俺の時点では9999回俺の方が数を積み上げてる。だから上手い。本間それだけ。だから今下手なんはしゃーない。1万回やれ!以上!』
彼は当時、ストリートダンスのコンテストで世界1位をとっていた。
だから、その言葉を疑えなかった。
「やればできる」
「今、下手なのは仕方がない」
そのシンプルさと、「10000回やれ!」の一言が強烈に残った。
10000回はまだやってない。
だから今は「できない」じゃなくて、「まだ下手」なんだと思えた。
10000回やっても、思い描いたレベルには届かないかもしれない。
でも、今の自分より上手くなっているのは間違いない。
間違いなく、今より研ぎ澄まされている。
5. 「センス」と「努力」は、結局どちらが大事なのか
色んなジャンルに『センス』や『努力』というものがあると思う。
センスのある人。
努力のできる人。
がいて、
どっちがいいんだろ?
たぶん本音では、誰もがセンスを欲しがる。
でも、拍手を送りたくなるのは努力を積み重ねた人だったりする。
きっと10000回できるのは努力できる人。
でも10000回やらなくても出来る人は、センスのある人。
感受性なのか。
表現力なのか。
生まれ持った資質なのか。
それは自分では選べない。
センスは選べない。
でも10000回やるかどうかは、自分で選べる。
だから僕達は10000回を選ぶ。
面白いことに、10000回やった後は目指していたものと違うものになってたりする事がある。
しかも、それに妙に納得している自分もいる。
目指していたのは「出来るようになること」じゃなくて、
「自分の動き」
もしくは
「自分の型」
を見つけることだったのかもしれない。
1回、自分がやる間にも、
世界のどこかでは10000回を目指して積み上げている人がいる。
そう思うと、
自分にもまだまだやれることがあると思える。
センスのある人を羨ましく思うのは、
きっと目指しているものが同じだと思っている時。
でも10000回やっているうちに、
「あぁ、違ったわ。」
って思う瞬間が来る。
その瞬間、
心のおもりが少し取れる。
小学生。
高校生。
20代。
あの時に聞いた言葉は、今でも少しずつ意味が変わり続けている。
だからきっと10年後も、この言葉をまだ引っ張り出してきて、「あぁ、そういうことやったんか」って思ってる気がする。
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ある「一言」が自分の人生を変えてくれるかどうかは、その一言を受け止めるだけの用意が自分にできていたかどうかで変わるのかも知れません。きっとたけさんはその一言で自分の人生を変える用意ができていたのでしょう。それはもしかするとチャンスには後ろ髪はないという話と通じるのかも。一瞬の一言、それを捕まえることができるかどうか、という事ですものね。